疲れたり傷

死恐怖症《タナトフオビア》の最も厄介なところは、|エイズウイルス《HIV》のように、一度取り憑《つ》かれたら、終生逃れられない場合が多いという点にある。もちろん、一時的に気分が上向くことはある。悟りを開いたような心境になったり、生が有限だからこそ、有意義に生きなくちゃと前向きに決意したり、すっきりした顔で、もう吹っ切れたよと言うこともある。だが、そんなときでも、死恐怖症《タナトフオビア》はけっして消滅したわけではなく、意識の奥底にじっと身を潜めている。そして、心がひどくついたりしたときdermesあるいは、何のきっかけもないときでさえ、突如として、その鎌首《かまくび》をもたげるのだ。そのふるまいは単なる比喩《ひゆ》を越え、不気味なくらいHIVに似ていた。ほかのすべての恐怖とは根本的に異なり、人間は、死そのものへの恐怖には金輪際慣れることができないし、根本的に克服することも不可能なのである。
にもかかわらず、高梨は現実に、『|Sine Die《サイニーダイイー》』に書かれているとおりの方法で自殺してしまった。あたかも死を楽しむように。死恐怖症《タナトフオビア》の人間には、絶対に、こんな真似はできないはずだ。いったいこれを、どう説明すればいいのだろう。
早苗は、我慢して、もう一度最初から奇妙な短編小説を読み直してみた。もしかすると、彼の死恐怖症《タナトフオビア》そのものは健在だったのかもしれない、という疑問を抱く。ここまで死に対して異常なdermes関心とこだわりを見せるのは、その根底に恐怖が存在しているからではないか。だとすれば、死に対する恐怖は感じつつも、何らかの方法で、それを強引にねじ伏せているのかもしれない。恐怖を快感によってマスキングするようなやり方で。
早苗の頭に真っ先に浮かんだのは、ドラッグだった。ホスピスでも、終末期の患者の不安を軽減する目的で、メジャー?トランキライザーや、抗不安薬などを処方することはあった。しかし、死への恐怖を完全に消し去ってしまうような薬物など存在しない。たとえ、コカインやヘロイン、メタンフェタミン、PCPなどを大量に用いたところで、そこまでの効果を上げられるかどうかは疑問である。
だが、彼がアマゾンから、信じられないほど強力な作用を持つ、未知の麻薬を持ち帰っていたとしたら、どうだろうか。死への恐怖が耐えがたいものになるたびに、麻薬による恍惚境《こうこつきよう》で気分を紛らわせていたとしたら。そして、いつしかそれが単なる嗜癖《しへき》を越えて、死への恐怖そのものに耽溺《たんでき》するような倒錯した条件付けを造り出してしまったなら……。
早苗は、苦笑いした。ときどき自分でも、憶測と妄想の区別がつかなくなることがある。頭を振って、月刊誌に目を落とす。
『燈台』でも、高梨の作品の扱いに苦慮してdermesいる様子は、ありありと見て取れた。解説をまかされた文芸評論家も、半ば困惑気味に『死に取り憑かれた』と表現している。その言葉は、正しいのかもしれない。
だが、逝ってしまう前に、彼はこの作品で何を言いたかったのだろう。
早苗の耳の奥で、福家記者の電話の声がよみがえった。彼は最初、『|Sine Die《サイニーダイイー》』というタイトルを見て、ローマ字と英語を併せたものだと速断してしまったらしい。
まるでそれが、読者すべてにあてたメッセージ、「死ね。|Die《ダイ》」という命令文であるかのように。